Baccarat バカラ
操業 1764-現在
1764年フランス東部のロレーヌ地方の統主モンモレンシー・ラバル司教は、バカラ村の豊かな森林と水資源を活用し、燃料を大量に使用する窯関連の企業を興すことを考え、ガラス工場の設立を国王ルイ15世に請願し特許権を賦与された。翌年1765年バカラ村を流れるムルト川畔に設立者のアントワーヌ・ルノーの名を冠したルノー・ガラス工場という名称でスタートし、3年後の1768年バカラ・ガラス工場に改名される。1816年に実業家のエメ=ガブリエル・ダルディーグが買収し高級クリスタルガラス製造をスタートする。1823年フランス国王ルイ13世がグラスセットを注文したことを皮切りにバカラ製品は国王や大統領などに愛用される。1867年と1878年のパリ万国博覧会ではグランプリを受賞した。


Daum Frères ドーム兄弟
オーギュスト・ドーム  1853-1909
アントナン・ドーム   1864-1930
エミール・ガレを筆頭としたナンシー派を代表するガラス工芸家。ドーム兄弟はフランスロレーヌ地方のビチュで生まれ、1870年の普仏戦争で故郷を追われナンシーへ移住する。兄弟の父ジャン・ドームが経営するガラス工場を兄オーギュストは1878年頃から、弟アントナンは1887年頃から手伝っている。当初は食器や花器など日用品としてのガラス器を生産していたが、同じナンシーのエミール・ガレが注目を浴びており、より高度な装飾ガラス製作へと移行していった。1889年のパリ万国博覧会ではテーブルウェアを出品している。この時エミール・ガレも大量の作品を出品し数々の賞を受賞しており、アールヌーボー、そしてドーム自身も爆発的躍進をしていく。1891年には新たに装飾ガラス工芸を制作する部門を設立し、多くのガラス工芸家、美術家、彫刻家を導入していく。1894年ナンシーおよびリヨンの博覧会で金賞を受賞。1897年のブリュッセル万国博覧会でも金賞を受賞し、この年、兄オーギュストにはフランス人にとって最高の栄誉であるレジオン・ドヌール勲章が与えられた。さらに1900年のパリ万国博覧会で大賞を受賞し、この年弟のアナントンにもレジオン・ドヌール勲章が授与されている。1901年エコール・ド・ナンシー(ナンシー派)が結成されるとアナントンは副会長に推されている。1914年第一次世界大戦の影響で操業を停止するも1919年に再開。1920年には時代の流れに沿いアールデコの作品を生産した。ドーム工房の初期の作品はエナメル彩色による絵付けが多く、1910年頃から色ガラスの粉をまぶしつけガラスの肌に多くの色を発色させる技法「ヴィトリフィカシオン」ガラス素地に絵模様を描きさらにガラスを被せ奥行きをだす技法「アンテルカレール」を多用している。アンテルカレールは1899年にドーム兄弟が特許を取得している。


Degué, Verrerie d'Art デュゲ・ヴェール・ド・アート
設立者 デヴィット・ギュロン
操業 1926-1939
1926年デヴィット・ギュロンがパリ近郊のコンピエーニュに設立したガラス工房。操業当初は他工房(特にシュナイダー工房)から優秀な職人を引き抜いていた。1930年頃からデヴィット・ギュロンとエドラウド・カゼックスがデザインを担当している。意匠はアールデコ隆盛期そのものでシンプルなものが多く、シャンデリアになると大型作品も数多く手掛けている。



Edgar Brandt エドガー・ブラント
生没 1880-1960
アールデコ期に活躍したメタルワーカー(金細工師)の巨匠。アールヌーボー後期からアールデコ期のドーム工房から依頼を受け、ランプのフレーム制作もしておりダブルネームの作品も多く見られる。この頃のメタルワーカーとしては最も名を馳せていた。意匠は日本のジャポニズムや中国のシノワズリーの影響を受けている。後年のミッドセンチュリー時代の礎を築いた功績も評価されている。


Édouard Vuillard エドゥアール・ヴュイヤール
生没 1868-1940
19世紀-20世紀のフランスの画家。モーリス・ドニ、ピエール・ボナールらとともにナビ派の1人に数えられる。ヴュイヤールの画面は、他のナビ派の画家よりもさらに平面的、装飾的傾向が顕著である。室内情景など、身近な題材を好んで描き、自ら「アンティミスト」(「親密派」という程度の意味)と称した。生涯独身を通し、酒もたしなまなかったヴュイヤールの絵画は、その渋い色調ともあいまって、穏やかな人柄を彷彿とさせる。晩年の1937年にはパリのシャイヨー宮の室内装飾を担当している。

 
Émile Gallé エミール・ガレ
生没 1846-1904
アールヌーボー期を代表するガラス工芸・家具製作の第一人者。陶磁器とガラス器を商うシャルル・ガレの息子として1846年フランスロレーヌ地方のナンシーで生まれる。1862年ドイツのワイマールで絵画・彫刻・博物学・植物学を修め、1866年マイゼンタールのガラス工場でガラス製造の技術を習得した。1870年に父シャルル・ガレの会社を継ぎ、1878年パリ万国博覧会に「月光色」のガラス器が銅賞を受賞し注目を浴びる。1884年装飾美術展覧会に出品し金賞を受賞する。1885年ナンシー水林森林学校に留学していた農商務省官僚の高島得三との出会いから日本の美意識への理解を深めた。デッサン力に優れるエミール・ガレは、日本美術に特徴的な花鳥風月・草木・昆虫のモチーフを自身の作品に表現した。1886年に家具工房を設立し製造を開始する。1889年のパリ万国博覧会に大量の作品を出品し、ガラス部門でグランプリ、陶器部門で金賞、家具部門で銀賞を受賞し装飾工芸家として国際的な評価を得る。またこの功績に対してフランス人にとって最高の名誉であるレジオン・ドヌール勲章が与えられた。1898年には「マルケトリー技法」と「パチネ」で特許を取得。1900年のパリ万国博覧会に大量のガラス器・家具を出品し再びグランプリを取得しますます評価を高めた。1901年エコール・ド・ナンシー(ナンシー派)結成、会長に就任する。1904年白血病により死去。58歳。19世紀末フランスの代表的な芸術家としてその名をとどめている。現在、残された作品の芸術性の高さは比類なきものと世界的に再評価されている。


Jean Noverdy ジャン・ノヴェルディ
生没不詳
ミューラー兄弟の工房でガラス技法を学んだのち、1920年頃故郷のディジョンで自身の工房を設立する。設立当初は可憐なアールヌーボー様式だったがアールデコが台頭すると時代の流れに従いより端整なアールデコスタイルの作品を手掛けた。


Louis Majorelle ルイ・マジョレル
生没 1859-1926
エミール・ガレを筆頭としたナンシー派を代表とする作家。家具・ガラス・金属加工のデザインと制作に広く従事した。1859年フランスロワール地方トゥールで8人兄弟の長男として生まれる。1877年パリの美術学校で絵画を学んでいたが1879年父の急死を受けナンシーに戻り20歳にして父の経営していた家具工房を継ぐ。当初はロココ様式の家具を生産したが、同じナンシーのエミール・ガレの影響を受け次第にアールヌーボーの家具製作へと転換していく。のちに室内装飾・装飾用金物・ブロンズ細工・ガラスなどを手掛けるようになる。1900年パリ万国博覧会に「睡蓮」シリーズを出品し大人気を博し名声を確立する。その頃からドーム兄弟と組みガラス花器やランプ制作を始める。1901年エミール・ガレとともにエコール・ド・ナンシー(ナンシー派)を結成し副会長に就任する。

 
Maurius-Ernest Sabino マリウス・エルンスト・サビノ
生没 1878-1961
アールデコ期に活躍したガラス工芸家。木彫家の父をもち、幼少期に故郷のシシリーからパリに移住し工芸・美術を学んだ。1914年ロミーリ・シュル・アンデル・ガラス工場でガラス製造の技術を習得し、まもなく自身の工房を開設する。金型を使った型吹き成形や押し型成形によって眺望的な作品を作った。当初は建築照明に力を注ぎ大建築インテリアを設計し、なかでも「イル・ド・フランス号」や「ノルマンディ号」のインテリアは世界の注目を集めた。晩年は日常食器や小オーナメントまで展開している。素材はオパルセントガラスや無色/単色のガラスを使用するためルネ・ラリックの作風と共通しており混同されることがある。工房は第二次世界大戦中閉鎖されたが、1945年に再開し1961年サビノが死去するまで続いた。その後金型類はアメリカに売却され、レプリカがアメリカで生産されている。


Muller Frères ミューラー兄弟
操業 1895-1936
フランスモーゼル地方出身のガラス工芸一家。9人の息子と1人の娘の10人兄弟を総称して「ミューラー兄弟」と呼ぶ。ガラス工芸の家に生まれ、生え抜きの職人だった彼らはサン・ルイガラス工場で働いていたが1870年普仏戦争に伴いリュネヴィーユに疎開する。1885年頃兄弟のデジレとウジェーヌがガレの工房に入り、他の兄弟もそれぞれガラス職人の研鑚を積む。その後アンリ、ピエール、ヴィクトールの3人が兄に続いてガレの工房に参加し当時最先端のガラス技法や様式を学んだ。1895年三男のアンリが独立しリュネヴィーユに工房を設立する。そののち他の兄弟たちも工房に帰還し、一家一団となって工房を経営した。1906年には長男デジレと三男アンリがベルギー最大のガラス工場ヴァル・サン・ランベールに招かれデザインを担当し411種類ものデザインを残している。1919年クロワマールのガラス工場を買収しアールデコ期を経て1936年まで製作が続けられた。ミューラー兄弟の作品には各種のサインがある。


René Lalique ルネ・ラリック
生没 1860-1945
アールヌーボー/アールデコの両時代に渡って活躍した宝飾作家・ガラス工芸家。前半生はアールヌーボー様式の宝飾デザイナーとして活躍し、50歳を過ぎてガラス工場の経営者に転身する。1860年フランスシャンパーニュ地方アイで生まれ幼少期を過ごし、その後パリへ移住する。1876年宝飾工芸家で金細工師のルイ・オーコックに師事し装飾技術を学び、夜はパリの装飾美術学校で学んだ。1878年から1880年までイギリスにわたりサイデナム・カレッジで学んだ。1882年パリにもどったラリックはフリーランスの宝飾デザイナーとして活動を始め、1885年パリのヴァンドーム広場にアトリエを構えるほどになり、カルティエやブシュロン、ティファニーといった著名な宝飾店にも作品を提供しており、女優のサラ・ベルナールも彼の顧客であった。1897年レジオン・ドヌール勲章を授与される。1900年のパリ万国博覧会では作品が大きな注目を集め名声を得た。ファッションの流行がボリュームのあるふくよかな服装から、シンプルなラインを強調するスタイルに移り変わったことで豪華で派手な装飾がある宝飾品が売れなくなり1905年頃を境に人気は凋落していく。1908年同じヴァンドーム広場に店を構えていた香水商コティに香水瓶に貼るラベルのデザインを依頼され、ラリックは香水瓶のデザインを提案する。優美なデザインの瓶に香水を詰めて販売するというのは、当時においては斬新な試みであった。同年ラリックはパリ東方のコン・ラ・ヴィルにあったガラス工場を借り本格的にガラス工芸品の生産を始める。1912年に宝飾品の展示会を開いた後、ガラス工芸品の製造に専念するようになった。香水瓶・花瓶・置時計・テーブルウェア・アクセサリーなどを手掛け、1920年代頃にはガラス工芸の分野で再び人気作家の地位を取り戻した。1925年パリにおける現代装飾美術・産業美術展ではラリックの為に1つのパビリオンが与えられた。時流に沿って幾何学的構成の文様や器形を採用するようになり、アールデコ様式の流行の一翼を担った。ラリックのガラス作品には動物・植物・女性などアールヌーボー時代から好んで使ったモチーフが多く見られる。素材は乳白色オパルセントグラスを好んで用いており、1920年頃からは色ガラスを使った作品も増えるが単色で用いることが多かった。技法は型吹き成形とプレス成型によるものが多い。
 

ROBJ ロブシュ
設立者 ジャン・ボルン/リュシュアン・ヴィルメッツ
操業1920-1930
1920年ジャン・ボルンとリュシュアン・ヴェルメッツによりフランスパリに設立される。アールデコ様式を用い、日本のジャポニズムや中国のシノワズリーなどのエキゾチックな人物や動物をモチーフとした陶器製品と、ガラス製のボトルやヴェイユーズ(常夜灯)、パフュームランプを生産した。装飾美術誌「Mobilier & Decoration」に斬新な作品を多数紹介し、当時流行りはじめたモダンスタイルとして好評を博してもっともパリらしい店として絶賛された。


Royal Copenhagen ロイヤル・コペンハーゲン
操業 1985-
1773年フランツ・ヘンリック・ミュラーがデンマークで初の硬質磁器を完成させる。1775年にデンマーク王室の援助によって王室御用達窯となった。手描きによるコバルトブルーの絵柄が特徴。



Royal Doulton ロイヤル・ドルトン
操業 1815-
ジョン・ドルトンが創立したイギリス最大の陶磁器メーカー。1887年には息子のヘンリー・ドルトンが陶磁器界で初のナイトの称号に輝き、1901年には英国王室御用達を賜るに至った。現在はWWRDホールディングスの一員となっている。

 

Saint Louis サン・ルイ
操業 1767-現在
1586年、前身となるミュンツタールガラス工房がフランスロレーヌ地方で操業する。1767年にルイ15世から聖王ルイ9世にちなんだ「サン・ルイ王立ガラス工場」の名称を受ける。

 
Schneider Frères シュナイダー兄弟
エルンスト・シュナイダー 1877-1937
シャルル・シュナイダー  1881-1953
シュナイダー兄弟はドーム工房のアートディレクターを経て、1913年自分たちの工場を設立した。兄エルンストが経営を担当し、弟シャルルが制作を監督し制作した。設立当初は被せガラスやパート・ド・ヴェール技法を用いたアールヌーボー様式の作品が多かったがアールデコが最盛を迎える前の1930年頃になると時代の影響とともにアールデコの意匠へと変わっていった。アールデコ期の作品は、形状はシンプルで色調の変化や気泡の混入などで特色をだしている。またカメオグラスも幾何学文を高浮き彫りにエッチングしたものから具体的な形を表現したものまで多岐にわたっている。作品には「Schneider」「Charder」「Le Verre Francais」などの銘が使用された。
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